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山岸凉子が「津山三十人殺し」をモデルに描いたサスペンス『負の暗示』

山岸凉子が「津山三十人殺し」をモデルに描いたサスペンス『負の暗示』

津山事件(津山三十人殺し)とは、1938年に現在の岡山県津山市加茂町の集落で起きた殺人事件である。単独犯による事件で、即死者28名、重症者3名(うち2名死亡)、負傷者2名。わが国の犯罪史上空前の大量殺人事件と言える。

1971年に出版された横溝正史『八つ墓村』は、この事件をヒントにして書かれた。また1981年には津山事件を題材とした小説『丑三つの村』(西村望・著)が出版され、翌1982年に古尾谷雅人・主演で映画化されている。

ここに紹介する山岸凉子先生のマンガ『負の暗示』は、この事件を題材として1991年に描かれたフィクション作品である。松本清張『ミステリーの系譜』、中野並助『犯罪の通路』を参考にしつつ、作者の創作をまじえて構成されている。

『負の暗示』あらすじ

土井春雄(どい・はるお)は幼い頃に父母を亡くし、祖母の郷里のK村で育った。祖母は男児の春雄を溺愛し、万事に姉より優先し、甘やかして育てた。小学校卒業後、春雄は病弱を理由に進学せず、農作業もさぼって家に引きこもった。
当時村には「夜這い(よばい)」の風習があり、春雄は村の女たちと乱れた関係にふけることを楽しみとしていた。
昭和11年、徴兵検査を受けると、甲・乙・丙の3段階で最低の「丙」という評価であった。この結果に春雄の尊大な自尊心は傷つき、高熱を出して寝込んだ。徴兵を逃れるために胸の病のことを書いたはずが、実際に病名が下ったことによって、村では「肺病病み」として仲間外れにされた。それまで関係のあった女たちからも次々拒絶され、不満をつのらせた春雄は、凶器を買い込み、射撃の練習を重ねた。

出典:山岸凉子『負の啓示』1991年出典:山岸凉子『負の啓示』1991年

そして昭和13年5月。前もって電線を切り、村中を停電にせしめた上、額に懐中電灯を2本、胸には自転車用のライトを吊るし、腰には日本刀、匕首(あいくち)2本と猟銃を持って、次々に近隣の民家を襲ったのである。

出典:山岸凉子『負の啓示』1991年出典:山岸凉子『負の啓示』1991年

山岸凉子による物語の解説

春雄は家計が逼迫(ひっぱく)しているのに働こうとせず、農作業を嫌い、かと言って教師になるための勉強もせず、女との快楽に逃げ込み、現実の問題を先送りするばかりであった。
最終的には現実から逃れようとして、村人を道連れに無理心中を図ったのがこの事件である。
先送りした問題はいずれ目の前に返ってくる。春雄は先送りを重ねた負のサイクルに入ってしまい、そこから抜け出せなかったのだ。(以上、本文より抜粋・まとめ。)

作品のみどころ

少年時代の春雄はワガママではあるが邪気のない顔をしていた。それが徴兵検査に引っかかり、女たちからこっぴどく拒絶されたのを境に、狂人の顔に変貌する。
「あいつらに思い知らせてやる」と決意した瞬間に、血走った目が穏やかになり無表情に変わる描写が怖い。

出典:山岸凉子『負の啓示』1991年出典:山岸凉子『負の啓示』1991年

怒りの表情より、復讐の鬼と化した「無」の表情の方が怖いのだ。

出典:山岸凉子『負の啓示』1991年出典:山岸凉子『負の啓示』1991年

最も春雄と深い仲だったみゆき、春雄が母のように慕っていた澄子は冷たい言葉を投げつけ拒絶し、春雄から最も憎まれていたはずなのに、一瞬の機転を利かせて難を逃れている。
女たちの共通の愛人として格好の標的にされていたはずの福夫も同様だ。

出典:山岸凉子『負の啓示』1991年出典:山岸凉子『負の啓示』1991年

この辺りの描写は皮肉で、ドラマティックだ。

津山事件を扱った資料

初めてこのマンガを読んだとき、実在の事件をモデルにしているということに衝撃を受けた。
今でこそ多数の出版物が読めるが、事件当時は日中戦争の最中で市民には報道規制が敷かれ、資料に乏しかったらしい。

当時、一般人の目には触れない極秘の資料として、関わった検事らが1年をかけてまとめた『津山事件報告書』に事件の詳細が記録されていた。
この資料を全文掲載した本が、私家版『津山事件の真実(付録つき)』として2013年に発行されている。

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なお、この本を出版した人物は『事件関係ブログ』というブログを運営している。

新潮文庫から出ている筑波昭・著の『津山三十人殺し』(初版:1981年草思社)は有名であるが、『事件関係ブログ』管理人に言わせれば、この本の多くの部分に著者の創作が混じっているらしい。
同氏は石川清・著の『津山三十人殺し 最後の真相』(2011年)、『津山三十人殺し 七十六年目の真実』(2014年)の方を、事実と著者による推測を弁別して書かれている点において評価している。

私の感想

山岸先生はおそらく、松本清張を主にしつつ、創作をまじえてこの話を描いたのだろう。1981年刊行の『津山三十人殺し』(筑波昭・著)にも目を通したかもしれない。
しかし、このマンガはあくまでもフィクションとして理解するべきで、「津山事件」については、別の資料にあたってみれば、またちがった角度からの解釈ができるのではないのではないだろうか。

周囲の村人を道連れにした無理心中という解釈はむしろ、近年幾度となく繰り返される無差別大量殺人にあてはまるのではないかと思う。
「誰でもいいから殺して、死刑になりたかった」などという供述を耳にすると、そのように思う。

人はなぜこのような犯罪を犯すのか。春雄の祖母が口癖としていた「春雄は”でき”が違う」というセリフがヒントになりそうだ。実力に見合わぬ過大な評価を与える、このようなセリフは危険だと思う。
失敗したり上手くいかなくても当然、他人に評価されなくてもいい、自分で自分を励まして自立できる人間を育てなくてはならない。
「引きこもり」などの問題にも、同じことが言えそうだ。

1991年に発表された山岸凉子・著『負の啓示』は、戦前の話でありながらちっとも古くならない。現代社会に普遍的とも言える心の問題を扱ったサイコスリラーである。

秋田文庫:神かくし所収
潮出版社:山岸凉子スペシャルセレクションV 天人唐草(てんにんからくさ)所収

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黒いジョヴァンナ
黒いジョヴァンナ
生来のホラーマニアで、学生時代には『新耳袋』『怖い本』『東京伝説』などを集め読破した。漫画好き、映画好きでもある。