今のように実話怪談が流行る前、実話で怖い話と言えば、山岸凉子の『ゆうれい談』の名をよく聞いた。
『ゆうれい談』は、1973年に『りぼん』付録のために描かれた作品だ。
当時、全国の少女や兄弟たちが「あのシーン」を目に焼き付けたのだろう。一度目にしたら忘れられないインパクトがある。
この記事では『ゆうれい談』を始めとして、山岸先生が描いた実話怪談マンガのみを集めて紹介する。
目次
ゆうれい談(1973年)
98ページにわたって、コミックエッセイの形式でいくつもの怪談が披露される。
最も怖いのは山岸先生が若い頃、九州を旅行中に知人宅で体験したエピソード。
深夜寝ている山岸先生と友人の枕元に、何者かがものも言わずに座っていることに気づいた。
その人物の姿が意味不明で、怖い。
この他、『ゆうれい談』に収められている怪談の多くは、仲間の漫画家たちから聞き集めたエピソードだ。みやわき心太郎、萩尾望都、ささやななえこ、大島弓子、宮本令子など……当時交遊のあった漫画家が名前を連ねている。
少女誌『りぼん』の付録に収録された性質上、絵柄は丸くコミカルで低学年のお子様に親しみやすいタッチで描かれている。グロテスクな表現や血の描写も一切ない。それなのに、怖い。
自分の身にも今にも起こりそうな、身近な場所で起きた恐怖が描かれている。
- 初出: 『りぼん』1973年6月号付録
- 所収: MF文庫『ゆうれい談』メディアファクトリー、2002年
押し入れ(1997年)
山岸凉子先生が当時よく長電話をしていたという漫画家仲間、美内すずえ先生から聞いた怪談である。美内先生のアシスタントAさんとその姉が、当時住んでいたアパートで体験した話だ。
Aさんと姉は同じアパートの一室で暮らしているのに、すれ違いの生活だった。
久しぶりに姉妹並んで就寝した夜、姉が突然「そこの押し入れの中にだれかがいる!」と言って跳ね起きた。
姉は「ふすまの隙間から目が見える」と……。
押し入れを確認するとだれもいなかったが、Aさんも姉も、このアパートには気になるところがあり、不動産屋を訪ねて行った。
不動産屋が言うには、この部屋では以前殺人事件があって、女性が布団に包まれ、しばらく押し入れに入っていたという。
当時読者にも和室に住んでいる人は多かったはず。これも、身近な恐怖譚と言える。
私も戸の隙間が少し空いていると、何かが潜んでいそうな気がして怖い。
- 初出: 『Amie』1997年12月号
- 所収: 『押し入れ』 講談社、2009年・復刻版
読者からのゆうれい談(1983年)
『ゆうれい談』が評判を呼び、山岸先生のもとには、読者からのダンボール一杯のファンレターが届いたという。これが全部霊的体験をつづったものばかりで、怖がりの山岸先生は持っていることが怖くて、読み切る前に捨ててしまったそうだ。
その中にあった読者の体験談から記憶を頼りに3つの話を選び、6ページずつの短いマンガとして発表したのが『読者からのゆうれい談』だ。
- 第1話 『タンスの中』……隠れんぼをしていた姉妹が、衣装タンスの中にいた「だれか」から手を握られる話。
- 第2話 『今日で百年目』……蚊帳を吊って寝ていた女性が、夜、白いモヤのようなものがやってきて「今日で百年目〜」と言われた話。
- 第3話 『わたしは一度死にました』……少女の臨死体験の話。橋の向こうでおばあさんがしきりに「来ちゃだめ!」と言うので渡るのを迷っていると、猛スピードで車が橋を渡ってきった。運転席には血だらけの女性が見えたという。
この3編は粒よりだ。題名からして、もう怖い。
このときは『ゆうれい談』にわをかけてギャグタッチの絵柄で構成しているが、それでも怖いのだ。
貴重なネタになる読者の体験談を捨ててしまったのはもったいなかったが、山岸先生自身が「感じる」センスを持っているのだから、まあ仕方がない……。
- 初出: 『バラエティ』1983年6〜8月号
- 所収: MF文庫『ゆうれい談』メディアファクトリー、2002年
ゆうれいタクシー(1993年)
愛猫家で知られる山岸先生が、地元のRタクシーでしょっちゅう犬猫病院に通っていた頃、乗り合わせたタクシーの運転手から聞いた話。
ある運転手が病院から呼び出しを受け乗せたはずのお客が、目的地に到着する頃には姿を消していた。門には「忌中」の文字が……。という定番の話だが、これには後日談がある。
愛猫が闘病生活を終え、犬猫霊園に葬るべく山岸先生がタクシーを呼んだら、このとき来てくれたのが例の怪談を体験した運転手だった。何十回もRタクシーを利用したのに、この運転手に当たったのはこれが初めてだったという。
彼はそういう役回りなのかもしれない……と山岸先生は言う。
怖いというより、ちょっとしんみりするいい話である。
- 初出:ハロウィン増刊『眠れぬ夜の奇妙な話』vol.12 1993年
- 所収: MF文庫『ゆうれい談』メディアファクトリー、2002年
蓮の糸(1993年)
これもちょっといい話が多い。
山岸先生と交遊のあった漫画家で夭逝した花郁悠紀子(かいゆきこ)先生が、亡くなってしばらくした後、山岸先生の夢枕に立ったという。
胸はのっぺり平らで腰から下に生成りの布を巻きつけ、光り輝くように入ってきたその姿は、まるで仏像のようだったそうだ。
他にも、花郁先生にまつわるエピソードを山岸先生はいくつか記されているが、「きっとみんなのところにも行ったんだと思うんです。たまたまハッキリ彼女に気づいたのがわたしだったんですね」とコメントしている。
後半には山岸先生の兄が体験したエピソードも。このお兄さんの話は、座談会やインタビューなどでもよく話していてテキスト化されたものを読んだことがある。活字で読んでも趣がある話だが、マンガになるとやはり絵が怖い。
ご自身や兄が実際に体験しているので、山岸先生は「死んだ人は少しの間かもしれないが、この世に存在している。たまたま波長が合うと、そういう波長を捉えてしまう人もいる」という立場だ。
見える人は常時見えるというわけではなく、波長が合うと見えるらしい。ということは、おそらく、山岸先生は普段はなるべく見えないように制御しておられるのではないだろうか。
- 初出: 『別冊プリンセス』1993年5月号
- 所収: MF文庫『ゆうれい談』メディアファクトリー、2002年
快談・怪談(2010年)
山岸先生が、あるとき実話怪談本を買って読もうとしたら、家鳴りがしたという。読んでいる最中は家全体がブルブルと震え、音が聞こえるのに、本を閉じるとピタリと止まる。山岸先生は「わが家が”怪”を拒否している!」と結論づけているが、これはむしろ、山岸先生が不吉なものを拒否しているのではないだろうか……。
そんなわけで、数多く実話怪談を描いてきた山岸先生もこのコミックエッセイでは不吉な話、幽霊話ではなく、ふしぎな話、縁起のいい話を紹介している。
特に私が好きなのは、七福神のエピソード。
ある商家の奥様が夢で、七福神を乗せた宝船がやってくるのを見た。宝船はドーンと大きな音を立て、何度もこちらにぶつかってくる。奥様は、最後に「だめだ! 敷居が高くて入れない!」という声を聞いたという。
実際に彼女の店は入り口に2〜3段あって、最後はまたがねばならず、それがずっと気になっていた。彼女は思い切って、敷居を道路と同じ高さにするよう改築したら、その後支店を持つまでになって繁盛した。
幸運をキャッチするにはどうしたらいいのか、という話がいくつか紹介されていて、おもしろい。『蓮の糸』で「怪異を見るのは波長が合ったとき」と解説されていたが、吉兆に気づくにも同じように第六感のチャンネルを合わせる必要がありそうだ。
- 初出: 『BE・LOVE』2010年第23〜24号
- 所収: BE・LOVE KCDX『言霊』講談社、2013年
終わりに
元々怪異を感じるセンスをお持ちの山岸先生。若い頃には交遊関係も賑やかで、夜な夜な怪談話に興じていたと言うが、年を追うごとに怪異に関わるのが怖くなってしまったようだ。
今後不吉な怪談を描くことはもう、ないのかもしれない……。
ここに紹介した話は、どれも潮出版社の愛蔵版《山岸凉子スペシャルセレクション》からは外されている。
単行本としては入手困難なものもあるが、スペシャルコレクションを読了した読者には『ゆうれい談』と『押し入れ』を勧めたい。
この2冊には、他にもスペシャルコレクションでは読めない話が多く収録されている。
『ゆうれい談』『読者からのゆうれい談』『ゆうれいタクシー』『蓮の糸』の4作は、MF文庫の『ゆうれい談』に収録されている。
『押し入れ』は、KCDX『押し入れ』に収録されている。Kindle版も入手可能である。